どうもツヅリです。アラサーなので、大学受験生だったのは10年前です。
先日、今も英語を勉強する身として、共通テスト英語を解いてみました。
そして驚くと同時にあきれ果てました。その理由を以下にまとめたので、ご一読ください。
「情報処理能力テスト」と化した共通テスト英語
解いてる最中にまず思ったのが、「これTOEICに酷似しているな」ということでした。アクセントと文法の問題が削除され、最初から最後まで全部が読解問題になった。まあ、これは百歩譲って良しとしよう。
しかし、同じ読解問題でも中身がひどすぎる。ひたすら英文を読ませて、必要な情報を抜き出すことの繰り返し。英語の文章を読んではいるけれど、英語の試験という感じはしませんでした。
なぜ「情報処理能力テスト」ではダメなのか
ではなぜ、共通テストが「情報処理能力テスト」ではいけないのか、2点理由を述べていきます。
努力の貢献度が低く、地頭の勝負になる
理由その1。
「ひたすら長い文章を読ませて必要な情報を抜き取る」という作業は、頑張って勉強してきた人よりも、こういった処理が得意な人が圧倒的に有利なんですよね。
英語教育の目的が「英語4技能の向上」であるとして、その能力の素地があるか測るためのテストが「情報処理能力テスト」だと、目的と手段が一貫しないわけです。
英語4技能の向上を目指すには、文法、発音、単語や熟語、それらを運用する能力、いろいろなものが必要になる。したがって試験もそれらが身についているかを測るものでなくてはならないですよね。
しかし、先日実施された共通テストではとても英語4技能の習熟度合いを測るものではなかった。ひたすら長い英文を読んで、解答に必要な情報を抜き出す、情報の取捨選択能力ばかりが必要なテストになっていました。
こうなってしまうと、積み上げてきた知識の有無は関係がなくなって、地頭の良い受験生だけがスイスイ解けてしまうという結果になります。「頑張ってきた人が報われるシステム」ではなくなっているのです。
「リーディング偏重の英語教育」への反省が全く生かされていない
日本人は英語ができないと言われ続けて数十年が経ちました。その原因はどう考えても「リーディング偏重の英語教育」にあります。
普段ネイティブも使わないような難しい単語や文法を覚え、複雑な文章を読み解く、大量の英文を処理する、日本の英語教育はこんなことをずっとやってきました。
そして30年近くにわたって続いたセンター試験が廃止になり、ついに新しい試験が実施されることになりました。
でも、フタを開けてみると前と変わらないどころか、よりリーディング偏重の試験になってしまいました。発音アクセント、文法の問題は削除され、ひたすら英語長文を読み続ける読解の試験。
今までの英語教育、試験方法では4技能を伸ばすことはできないと分かっていたのに、またしても同じ轍を踏みに行ってしまったわけです。
では、共通テスト英語はどうあるべきなのか
上記の理由から、僕は今年の共通テスト英語はあまり良いものではないと思っています。
英語4技能の向上が目的なのであれば、受験生は
・ブロークンではない(文型に則った)文章をつくれる能力
・会話で使われる表現(単語や熟語)を覚え、実際に運用できる能力
これらが必要です。
これらの能力を養うためには、文法、単語や熟語、会話表現、それらを使いこなす能力を満遍なく身に着ける必要がありますし、そうするためには日々の努力の積み重ねが必要不可欠です。共通テストは、上記の能力を満遍なく試すテストであってほしいと思います。
なので、共通テストは
①基本的な文法を問う問題と、会話表現、リスニング問題
②文章読解問題
これらが半々で問われるような形が理想です。これであれば、4技能習得のための知識を測ることができ、努力した受験生が報われるシステムになります。
文部科学省および大学入試センターには、本当に英語4技能の素地を正確に問える試験はどういったものなのか、今一度よく考えてほしいと思います。